俺は今、このまな板の上においてある鯛をどうしようか迷っていた。新鮮だから刺身でもいいな、それとも煮付けにするか?いやいやあの白菜と一緒に鍋にするか!思い付く調理法はいくらでもある。さあ、と包丁を持ち直す。どちみち頭を落とすなり、はらわたをとるなりしなければならない。どんな制裁を、さあさあ、手が震える。その切っ先をああ美しい腹にやろうとした時、いたい!と鯛が叫んだ。
「何をするのです」
俺は拍子抜けしたが包丁を持ち直した
「何をって、料理だ」
「料理なんて今は問題ではありません。それより聞いてくださいよ」
それを皮切りに、鯛はべらべら自分の生い立ちを喋りだした。食べられそうになったことや、釣られて喉に針がかかったこと、そしてそれからのこと。
「もう船にあげられた時は終わりだと思いましたね、漁師のやつめ、いけすにも入れてくれなかった!」
包丁を握る手が弱くなる。
「まてまてお前はそこで死んだんじゃなかったのかよ」
「ええ、死にましたが今こうしてあなたに聞いてもらいたかったんです。だって海のなかじゃ誰にも言えませんもん」
だれでも良かったんですがね。鯛が笑った。
「実は、だれでもよかったんです、魚市場で叫んでもいいくらいです」
そこで俺は重大なことに気づいた。このままでは鯛を食べるどころか捌けないじゃないか!いくら鯛だといえ、そんな辛い生い立ちを語られては困る。そんな事情、俺には関係ないものであり、知らないことであり、知らないからこそ今まで他の鯛を切って、食べてこれた。でも俺は知ってしまった。そして不覚にも同情していた。もう俺にこの鯛を捌くことは出来ない。
「ところでその包丁、私を捌くのですねさあさ早いところしてください」
俺は我慢できなくなった。まな板ごと鯛を持って、外の公共のゴミ袋に捨てた。
「俺にお前は捌けない、喰われないよりはましだろうが」
鯛はいつの間にか身が腐り、骨だけになっていた。
裁き (ああ鯛よ、腹を切られる方がましだったというのか)