本当は、今日は誰にも遭いたくなかった。今日は独りでいるのが辛いどころか、むしろありがたいくらいだった。自由よりも、監禁されるほうがよほど安全で、安心だった。早く、あの問のことを誰かに言いたかった。なんの解決にもならないが、とりあえず吐き出したかった。でも結局言わなかった。笑顔でしゃべるやつに言うことなんかじゃないと思ったし、それは俺自身の問いでもあった。

 とうとう雨が降ってきた。湿気があってむさ苦しい雨のくさったにおいは、今日ではそれを愛おしくも思えた。いつもは満員の電車が空いていたことも、俺に希望を与えたようにも思えた。
 足元に何かあると思うと、それは蟻だった。この大きな鉄の牢獄に入れられ、慌てているようにせわしなく歩いている様をみると、二度とは戻れない最果ての家を探しているのか。それとも、周りの変化に気づかずその大地と言えない床を這い回っているだけなのか。
 ふと、急に、その空間がいやになった。まるで俺まで蟻のようにこの牢獄に閉じこめられているみたいじゃないか。あわてて、俺は次の駅で脱獄した。

 次の電車まで暇があった。電車が行って、完全に誰もいなくなったホームには、俺しかいない。
 強くなった雨を眺めて考えても、答えは一つしか出てこなかった。揺るがない答え、それを知っているのは俺だけ、そして俺は黙っている、これからも。気づかなかったやつに俺の答えを言っても、どうせ分からない。出された問はこれからも忘れない。証明も出来た。答は難しい証明のうちに解き明かされた。必要なのは証明だった。答えというものは結果に過ぎない。それでもおまえは答えだけを見るのだろう、証明を見ずに、俺を見ずに。

 あと10分で電車が来ようとしていた。いつの間にか、向こうのホームがにぎやかだった。そしてこっちのホームにも人がなだれ込んできた。俺だけの空間はどこにも無くなった。雨に濡れていた囚人服も、もうすっかり乾いている。

                                            脱獄 (証明すら俺を不安にさせるのか)